加納真実さんの大道芸を観た感想
皆さん行きましたでしょうか、平原祭り。
私は2日間どっちも行きましたよ。
1日目は通っているダンススタジオのイベントがありまして
16時半頃出番だったんですが
直前になってゲリラ豪雨に襲われ、あわや中止!?と思いきや
いきなり晴れて
予定より遅れて、何とか本番を迎える事が出来ました。
で、本番終わったし帰るか~と
駅まで迎えに来ていた母親のとこに向かっている時
青いジャージの女性に出くわしたんです。
中学生の指定ジャージのような青いジャージ
赤いルージュが特徴的なメイク
アンバランスな外見と
にじみ出る異彩なオーラ
写真だけでも伝わってくる強烈な存在感・・・
皆さん、想像してください。それを生で見てしまった私の衝撃を。
その女性は通行止めの道路の真ん中にいて、周りに小道具らしきものも置かれていたので
パフォーマンス系の人なんだと察しました。
「ただの通行人ではなかった」
そう気付いた私の安心感たるや
BGMの昭和歌謡がかかり、
雨あがりの湿ったアスファルトにつっぷして寝ころび、動かない女性。
それを観ただけで、別次元に飛ばされたような不思議な感覚を覚えた。
寝ころんで、ほとんど動かないと思いきや
いきなりお客さんからダッシュで逆走したり
シュールな光景だったけど、
不思議とこみ上げる笑い。
それに吸い寄せられて集まってくる人たち。
もっと観ていたかったけど、母親を待たせているのを思い出す。
小道具の近くに置いてあった「とかち夏空大道芸フェスティバル」と書いてあるパンフレットをパクる。
どうやらこの方は加納真実さんというパントマイムアーティストなんだとか。
ふむふむ、どうらや2日目も出演するらしい。
・・・
よし、行こか。
しかしまぁ、ダンスの本番前に大雨が降ったから、タイミングよく出くわす事ができたんだよなと気づく。
雨に感謝。
そして、2日目。いい天気
11:45、平原通り10丁目、道路の真ん中で、加納真実さんのパフォーマンスを改めて観た。
セリフのない動きだけのパフォーマンスは、昔聞いたある言葉を思い出させた。
それは私が演劇のワークショップに参加した時の講師の先生の言葉だ。
「‟気”を出していれば、千人規模の劇場でも、それが端の方まで伝わる」
人の中にある、感情などのエモーショナルな部分の凄さを意味する言葉だと、その時聞いた私は思った。
加納さんのパフォーマンスは、それを具現化しているように思える。
本人から放出される‟気”が、メッセージ性をもたらしているのだ。
そうではないと、寝ころんでいるだけで、これほど訴えかけてくるものは表現できないだろう。
しかし、加納さんの場合、劇場という箱の中ではなく
路上の広がったフィールドで、人の目に留まる、というのは
もしかしたらあの言葉を超えているのではないか?
・・・
なんて分析しながら観ていたけど
パフォーマンスが面白くてだんだんどーでもよくなってくるんだけどね。
他のお客さんも手叩いて笑ってるし。
予測不能な動きから
「次は何をするんだろう?」というワクワク感になり
時間があっという間だった。
途中、加納さんが小道具を仕込み忘れるアクシデントがあり、急遽演目を変えて行われた「仮面舞踏会」
これが一番お気に入りだった。
加納さんが能面みたいなお面をかぶって踊り、
お客さんにもお面を被せて一緒に踊る
この光景が圧巻だった。面白すぎだろ。
そして終演後、ずうずうしくも声をかけた。
色々質問もした。
加納さんは、中森明菜のようなハスキーボイスで答えてくれた。
聞けば加納さんは大学のパントマイムサークル出身で、最初は3人組で活動していたが、気付いたら一人になっていたと。
そんなこんなで活動して20年程らしかった。
加納さん曰く、自分は路上でのパフォーマンスが合っていると
昨日も酔っ払いに邪魔されたりしたが、むしろ邪魔されるのが好きとおっしゃっていた。
私だったら・・・例えばダンスの本番中に邪魔されたら
水曜日の板東英二ばりにキレていまいそうだが
路上でやっていけるのって人柄もあるんだろうな。
加納さんは自分のパフォーマンスを「見る人を選ぶ」と表現していた。
という事は私は選ばれた人という事になるな。
記念に2ショット写真を撮って貰えたので載せようと思ったが
加納さん、終演後で髪の毛ボサボサに写っていたのでやめておこう。
この写真は私が一人で楽しむ用にとっておく事にするか。
色々喋った後、なんと加納さんはTwitterもフォローしてくれた(自慢)
普段は東京で活動しているみたいなので、次いつお目にかかるか分からないが、
今回の2日間で、表現する事の原点を学べました。
また、機会があれば観に行きたいな。